形見分けの月


「オレの、オレの話を聞けぇぇ〜♪」
 友人Mが腰をくねらせながら、クレイジーケンバンドを歌い、店内の笑いをさらう。「歌う」より、「がなる」といった方が近い。亡き友人の父親も、「ずいぶん、やるねぇ」とニヤニヤしながら水割りを口に運ぶ。
 横須賀にある彼の自宅から徒歩5分ほどのスナック。よく考えれば、この日久しぶりに集まった20年来の友人たち3人で、カラオケするなんて初めて。ぼくも負けずに、十八番の『越冬つばめ』でこぶしを利かせ、最後のサビではファルセットボイスを披露する。


 夕方、横須賀近くのある駅で集合。ス―パ―で巻き寿司を買い、友人Mの案内で亡き友人の父親が暮らす団地に向かった。雲ひとつない青空がひろがっていた。友人とその母親の遺影が飾られた仏壇に、まずお焼香。
 それから、お父さんが用意してくれた美味しい刺身とビールで乾杯。親戚が送ってくれたという、宮崎産の芋焼酎にうつる。まず舌を刺す辛味、それから清水のような軽い飲み口がいい。あまり聞かない銘柄だったが、かなりの上物だろう。


 懐かしい写真や思い出話を肴に、話題も笑いも尽きない。
 その間に、彼の書棚をのぞき、各自が本やCD、レコードやビデオなどを引き取る。「なんか、私とずいぶん趣味が似てるんで笑える」と、3人の子供の母親であるR恵が言う。どうせ処分するから、好きなのあったら遠慮せずに持って帰って、と背後でお父さんの声がきこえる。この時点で、お父さんはかなり酔いが回っていて、同じ話を何度も繰り返していた。


 他人の本棚を見るのは、少し気恥ずかしい。
 とりわけ闘病生活が20年近かった友人の場合、若い頃の憧憬や焦燥、あるいは失望や追憶を、本がより濃厚にまとっている。それは一冊一冊だったり、その塊が醸し出すものだったりする。持ち主がこの世にいないことが、なおさら、本の表紙を饒舌にみせる。考えれば、それはぼくにとっても、残りの2人にとっても初めての形見分けだった。
 

 お父さんは、か細い声で冒頭のスナックのママさんと、ブルースをデュエット。歌い終わると、ウィスキーの水割りで喉をうるおし、「私はもう3年ぐらい生きればいいんですよ」とポツリと言うので、「お父さんは肌の色艶もいいから、もっと長生きしますよ。看病でずいぶんがんばった分、これからはもっと人生楽しまないと」、ぼくはそう元気づける。ただし、何の根拠もない。来年の命日にもこうして集まってカラオケで盛り上がろうと、友人たちと約束する程度のことだけだ。


 スナックを出ると、酔いがさめたせいか、空気が頬に冷たい。
 冬の夜空は、昼間に比べて少し雲が出たものの、きれいに晴れわたっている。都内より空気がきれいなのか、星も多い。目測で1センチにも満たない下弦の月が、ただぽつんと光っていた。