石田徹也「僕たちの自画像」展(4)(練馬区立美術館12月28日まで)


 石田の自画像は、一風変わっている。
 顔から頭にかけて顕微鏡になって机に座っていたり、牛丼屋でマシンガンの銃口から食べ物を口に注がれていたり、四つん這いになった背中に穴が空いて洗面台になっていて、ハンドソープや錠剤などの日用品が乱雑に置かれていたりする。


 学校の校舎の壁面から頭を、窓からは手の指が出ていて、まるで校舎の着ぐるみを着ているようだったり、スーツ姿のまま四角く固められて紐でパッケージされていたり、銀行のATMに座り込んで下半身を露出し、片手に1000円札を持っているスーツ姿の自画像・・・・・・。


 さまざまな社会システムに半ば取り込まれてたり、半ばモノ化されたサイボーグのような彼自身。それらの作品群に、観る側が自分に似たヤツを見つけるのはそう難しくない。
 (1)でも書いたように、バス停でわずか30分が待ちきれない僕自身も、石田の絵を観て、自分が立派なスピ―ド中毒だと痛感させれらた。目的地に早く着く癖が身体にしみついていて、誰と約束しているわけでもないのに、わずかな空き時間さえ「無駄」だという思いにとらわれてイラついてしまう。まるでアル中患者が酒が飲めないと身体の震えが止まらなくなるような調子で。


 買物中毒、恋愛中毒、孤独拒否中毒、便利中毒、自己主張中毒、服従中毒、名誉中毒、権威中毒、勤労中毒・・・・・・。程度の差こそあれ、みんな、何かに中毒することで、何かから目をそらして、辛うじて命をつないでいる。そんな普段見ないようにしている自分を、石田の絵は、乾いたユーモアとともに目の前に突きつけてくる。(おわり)


石田徹也遺作集

石田徹也遺作集