挑戦(ロックンロール)〜ジュリー祭り in 東京ドーム

rosa412008-12-27



 野球なら、ぼくは王より長嶋が好きだった。
 たしか、王選手は3割30本塁打をクリアして現役を引退したはずだ。一方の長嶋さんの最後のシーズン(1974年)は、打率2割4分4厘で、本塁打は15本(ウィキベディア調べ)。カーブを投げられると、面白いように三振を繰り返した。だが、けっして中途半端ではなく、いつも目一杯振り切っていた。


 それがどんなに歯がゆい現実であっても、ガキのぼくは、その一点に納得させられていたような気がする。


 ヒーローの最後は残酷。だが、どんなファンよりも、「こんなはずじゃない」と思っているのは、長嶋さん自身のはずだと、ブラウン管ごしにガキのぼくは思っていた。だから、溜息をつくことになることを承知で、いつも巨人戦を観ては舌打ちを繰り返した。今振り返ると、そのボロボロになっても戦う姿勢を崩さない点にこそ、長嶋さんの野球への情熱と矜持の匂いを嗅いでいた、小学校5年生のヘナチョコ野球少年だった。


 還暦で東京ドームのステージに立ち、憲法第九条をパロッた「我が窮状」というバラード曲を歌う沢田研二をテレビで観ながら、ぼくはかつての長嶋さんを重ね観ていた。それは彼のロックンロールだった。


 頬から顎(あご)にかけてたっぷりと贅肉がつき、顔全体はかなりくたびれた印象は拭えない。下腹も出ている。でも、その歌声は以前より深みがあり、以前より心にじかに届いてくる気がする。名曲「時の過ぎゆくままで」の後、アップビートな「愛まで待てない」という最後の曲を、ステージを駆け回りながらシャウトする彼に、やっぱりグッときた。


 誰が見ても明らかな老い。そのど真ん中にどっぷりとつかりながら、ジュリーはやっぱり好きな歌を歌っていて、それがその夜の80曲目だった。