東京新聞❤(ラブ)続編 


 左隣の評論で、内山節氏はこう書く。
「昨年の世界的な経済危機の露呈以降気づいたことは、私たちの社会が劣化してきている現実だった」 そう書いた上で、以前は機能していた「親戚」、あるいは「無尽」や「講」といった、地縁や血縁のセーフティネットの衰退を指摘する。

 
今日ではそれらがすべて脆弱なものになってしまった。私たちはバラバラになった個人である。だから危機に立たされても自分で解決するしかなく、解決の道が閉ざされれば絶望するしかない。そんな状況のなかで経済や社会、政治が劣化していくという、未経験の時代がいま私たちの前で展開しはじめた。

 この2つの記事を両隣で組み合わせる点に、紙面構成の職人技がある。
 それらの狭間に、今の社会の核心が見える気がする。それこそが新聞の行間。インターネットのニュース欄で、こんな行間は堪能できるのか。編集者の洞察力はそこにあるのか。


 新聞の行間に興味がない人は、おそらく、社会の行間にも興味がないのだろう。もちろん、内山氏の指摘する「バラバラになった個人」と「自分」との関わりについても、無関心にちがいない(おわり)。