本橋成一監督『バオバブの記憶』(ポレポレ東中野、渋谷シアター・イメージフォーラム) 


 忘れられない場面があります。
 彼は「ほら」と言って、最後のガムの半分を、ぼくに分けてくれました。東中野の、今はなき喫茶店のカウンタ―席。彼が、アフリカで見たバオバブの樹について熱っぽく話すのを、ぼくは隣でうなづきながら聴いていたのです。樹齢1000年ともいわれる樹です。


 途中、彼がガムを食べようと、ポケットをまさぐって引っ張り出した最後の1枚。それをごく自然に彼は半分にちぎり、ぼくに手渡してくれました。今から約20年前の話。彼とは、炭鉱夫をテーマにした写真で、写真界の芥川賞ともいわれる「太陽賞」を1968年受賞したドキュメンタリー写真家、本橋成一さん(67歳)。当時47歳。


 一方、当時のぼくは上京したての25歳。韓国で知り合った、本橋さんの一番弟子のカメラマンを頼りに、彼のアパートに転がり込んでいました。今以上に、ただのチンピラでした。その若造に本橋さんはガムの半分をくれ、バオバブの樹について熱っぽく話し続けたのです。その樹の下に人々がどのように集い、話し、笑うのか。その樹陰で時に人々がどんな歌を歌い、その樹に宿る精霊にどう祈るのか。


「その樹と人々の生活をさ、いつか写真にきちんと撮りたいんだよね」
 少し遠くを望むように、子供っぽい目でそう語る彼の横顔を、今でも鮮明に覚えています。一枚のガムをごく自然に分かち合う彼の仕草とともに、ぼくの心に切り離せない場面として刻まれているのです。


 その後、彼はチェルノブイリ原発事故後、放射能に汚染され、政府から退去命令が出された小さな村で暮らし続ける少女や老人達を主人公に、『ナージャの村』、『アレクセイと泉』(音楽・坂本龍一)の2本のドキュメンタリー映画を監督。ベルリン国際映画祭や、モントリオール国際映画祭でも部門賞受賞。同時に出版した写真集『ナージャの村』で、第17回土門拳賞を受賞することになります。(つづく)


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