山田風太郎「人間臨終図鑑Ⅲ」(徳間文庫)

 仏教でいう「無常」観を体得するため、釈尊ブッダ)は、死体を直視することを教えたという。修行者は、死体置き場で死体をまざまざと見て、林の中で瞑想によって、その死体が腐乱していく経緯を思い浮かべる。それによって無常な身体への執着を離れるとき、修行者は真に無常を体得し、生きるためにかき立てられた欲望を抑制することができるようになる、という。


 もっと手軽に無常観を手に入れるには、読書にかぎる。
 世界規模で、著名人たちの死に様を網羅した、山田風太郎のこの本は三部作。ひとつひとつは短いので、ちびちび読み進めている。たいていの著名人が、ろくな老い方や死に方をしていない。


 たとえば、精神分析学のフロイト(1856−1939)。
 大変な葉巻愛好者の彼は、満67才の誕生日に、口の中に「白板症」という、悪性腫瘍になる可能性の高い病気が発覚。以後16年間、33回もの手術をうけることになる。しかも、間断なくX線治療などをうけ、その副作用の激痛にも耐え続けながらだ。にもかかわらず、それは悪性腫瘍になる。

彼は、口中の上顎(あご)、口蓋(こうがい)全部を切除され、鼻腔と口腔は一つになり、新しい人工顎と人工口蓋と義歯をはめた。日常生活において、これをとりはずし、またはめるのが、毎日の一家の騒動になった、
 以後、手術を繰返しつつ、一方で彼は『神経症と精神病』『幻想の未来』『続精神分析学入門講義』などの著作をし、また精神分裂の患者の治療行為に当った。
 一九三六年、八十歳のとき、腫瘍は完全なガンに変り、彼はまた大手術を受けることになった。このときの焼灼手術で、彼は「もうこれ以上はたまらん」と大声でさけんだ。これが彼のもらした唯一の悲鳴であった。

 この後、ナチス政権下で、その著書を燃やされ、財産没収、79年間住んだウィーンから、ロンドンへの亡命のやむなきに至る。


 多くの偉人たちも、その死に方はフロイト同様に無残。
 となると、ただのチンピラなスチャラカのそれは、もっと醜悪なものになるだろう。そう観念するとき、今日一日の大切さが俄然かがやく。