本橋成一写真集『バオバブの記憶』(平凡社)〜対極の視座を投げこむ人


 昔、北海道の美唄に、一人の樹木医をたずねた。
 仕事ではなく、テレビでその存在を知り、その人の話をどうしても、じかに聞きたくなったからだ。彼は快く受け入れてくれて、その診療に同行させてもらった。ちょうど5月の連休のころだった。


 彼とめぐった、美唄富良野の原生林は、彫刻めいた美しさで、車の助手席でぼくは何度ため息をついたかわからない。そのとき、60年配の樹木医さんに、たらの芽やふきのとうの食べ頃の見分け方を教わり、そのほろ苦さとほのかな甘さを知った。


 そして彼が大切に見守っている、胴回りはおよそ3m半、樹齢300年のミズナラの樹と出会った。
 彼からその樹皮に耳を当ててみるよう促され、その柔らかな樹に耳をそばだてた。最初は周りの音だけしか聴こえなかった。でも、しばらくすると、樹の内側からある音がきこえてくるのに気づいた。


 チョロチョロチョロ・・・・・。
 それはミズナラが土地から水を吸い上げている音。樹木医の彼はそれを「樹の声」と呼んだ。その音の強弱が、ミズナラの状況を推測する目安のひとつだという。
 わたしが普段の生活で、ただ風景のひとつとして見過ごしていた木々。物言わぬそれらが命を育むために土地から吸い上げる水音を、「樹の声」という彼の感受性に、ぼくはグッときた。


 映画公開に合わせて出版された、本橋さんの写真集『バオバブの記憶』をめくりながら、そのことが思い出された。本の腰巻にはこんな文章が書かれている。

バオバブに聞いてみたい
百年、五百年、千年後の
ぼくらのことを
バオバブの記憶にある
風景のことを

 一方で、有害な食品添加物をこっそりばらまくような手口で、いかさま金融工学で切り刻まれたリスク商品が世界を席捲し、目先の値動きで巨万の富を生み出す人たち。その際限なき欲望がふたたび泡と弾けた。
 去年会った、小学校卒の敏腕経営者は、いまどきの経営者をこう語っていた。
「みんな、ソロバン勘定が近すぎるんだ。経営トップが、何を考えているのかが、多くの従業員には見え見えだから、人心掌握なんてできっこないよ」


 わかりやすいもの、目に見えるものだけがウケる。
 アカデミー賞受賞作品に、ハイエナのように群がり”感動”したがる人たちが、どこからともなく沸き出てくる。そんな世の中に、本橋さんは百年、千年という時間を生きてきた大樹と、その下で暮らす人たちの存在を投げ込んだ。


バオバブの記憶

バオバブの記憶