かすみがうらマラソンまで1週間
なかなか、うまくいかなかった。
でも、うまくいかないことを、受け入れられるようにはなってきた。今回は、月間200キロ走ろうと、それなりに計画立てて練習を始めた。ところが、25キロ以上を走ると、かならずどこかが傷んでくる。そう面白いように、身体のどこかが悲鳴をあげる。結局、目標走行距離は未達。
今回も右腰が張ったり、左足裏が痛んできて、結局、1ヵ月の間に二度、4日ほど練習を休んだり、そのせいで練習量を落さなければいけなかった。割とまめに補強運動をやっていても、そうなってしまう。つまり、肉体的な衰えや、体力上のキャパシティを超えているのだろう。
でも不思議なことに、今回はあまり動揺も落胆もしていない。割と淡々と、事実を受け入れている自分がいる。
「別に五輪に出るわけでもあるまいし・・・」
「そもそも、下手の横好きなんだろう・・・」
自分にそう突っ込んでる、もうひとりの自分がいる。その度に肩の力が抜けていく自分が、少し頼もしい。
「なら、辞めちゃえばいいじゃん」とか、「バッカみた〜い」と失笑する人もいるはずだ。
でも、何事もそんなもんなんだよなと思う。
単に、汗かくと気持ちいいとか、レースでの濃密な燃焼感とは違うところで、そんな諦観を今回つかんだ手触りがある。
「たかが」と思いながら、「されど」と踏ん張る。
その狭間を行きつ戻りつする、その情熱と労力の振れ幅の中で、自分を使い果たすしかない。しょせん、誰もが犬死にを逃れられない。だとすれば、なんだか楽しそうな犬死にと、そうでない犬死にしかないだろう?