川端康成『舞姫』(新潮文庫)(2)


 皇居のお堀端をたゆたう一尾の白い鯉(こい)。
 小説の冒頭、その鯉にまつわる場面がある。元人気バレリーナの波子が、恋心をいだく竹原と皇居周辺を散策している。しかも、皮肉屋の夫に見つかりはしないかと、神経質になっていた彼女は、皇居のお堀端で一尾の白い鯉を見つけると一転、それにすっかり見とれてしまう。共に歩く竹原はもちろん、さっきまで神経を張りつめていたはずの夫の存在さえも、放り投げたかのようにだ。


 あげくの果ては、竹原から「およしなさい。あなたはそんなもの、目につくのが、いかん」とか、「それは目につく方が、どうかしてるんだから・・・・・・。波子さんに見られたくて、魚は来ていたのかもしれない。孤独の身の、同病相哀れむでね。」と、散々に叱られる始末。
 読み返すと、皇居近くで展開されるその場面には、アメリカの軍用バスやアメリカの男女、アメリカの新型車の列がつぎつぎに動き出す場面まで、ご丁寧に描きこまれている。


 一見、戦後の上流家庭の崩壊を描いたように見える小説を読みおえて、あらためて思い返されたのは、冒頭のその白い鯉と、それに見とれる波子の場面だった。まるで映画のカットバックみたいな調子で。
 戦後の混乱の中で、優雅に幽閉されたお堀端の鯉には、波子そのひとが「からっぽな美」として投影されている。成長した二人の子供をもつ、40代の人妻はどこか無垢で、どこか世間知らずだ。


 露悪的でなお得体の知れない矢木(夫)と対照的に描かれながらも、美しき人妻もまた、あいまいな存在でありつづけている。波子と一尾の白い鯉と、表題「舞姫」をつなぐのは、優雅で美しくて、からっぽな日本。だからこそ、今読んでも少しも古くない。