被爆ピアノ


 目を閉じて聴き入る人、ステージ上のそのピアノを凝視する人たちがいた。演奏が終わると、その静まり返っていた客席から、強く弾けるように拍手が鳴りひびいた。白髪頭が目立つ聴衆の中には、ハンカチで目頭を押さえる人もちらほらと目に付いた。


 ピアノの音質のことは、ぼくにはよくわからない。
 だが、その光景を見れば、歴史的惨禍をくぐりぬけてきたピアノの音が、どれだけ豊かな糊代(のりしろ)をもって、人々の心に届いているのかは明らかだった。その旋律が目には見えないからこそだろう。経済が思考停止になった上に、目に見えないインフルエンザに世の中が席捲されている今、その音がいっそう求められているように見えた。


 広島市に原爆が落とされた日、爆心地から半径2キロ圏内は焦土になった。
 にもかかわらず、爆心地から1・8キロで傷だらけになりながら残ったこのピアノは「被爆ピアノ」と呼ばれる。昨年、その取材で訪問した広島市から、一台の被爆ピアノを持って上京された矢川光則さんにお会いしに出かけてきた。


 昨夜、広島でその被爆ピアノのコンサートを終えて、寝ずに高速を走って午前10時に東京に着かれたという。ピアノの調律師を生業にしながら、手弁当被爆ピアノの演奏で、全国各地を飛び回っていられる。今年は、小中学校をはじめ、130ヵ所に出かけられる予定。今年8月にも、都内で谷川賢作さんや、おおたか静流さんらが参加したコンサートがある。
 興味がある方は、「被爆ピアノ・翼をひろげる会」のHPをご覧ください。(14日、15日分に、被爆ピアノに関する拙稿をアップしておきます)