吉岡徳仁『みえないかたち』〜古典へリンクさせる本

 たとえば、中川一政のこんな一文が、引用されている。

―勿論、画は技術である。しかし、教わった技術は役に立たない。(かなり中略)牛や馬や鶏は人に飼われている。それは自分で餌食を探さない。与えられて満足している。猛獣はどうではない。どうしても満足出来ず、自分で原野にさまよい出て餌食を得る。始終危険に身をさらしている。独学の精神とはそういうものである。
『うちには猛犬がいる』(中公文庫)


 あるいは、物理学者で随筆家の寺田寅彦『柿の種』(岩波文庫)からは、こんな唸(うな)らされる一節が。これだけで好奇心の胸倉をつかまれたので、寺田さんのは読んでみたい。

石器時代の末期に、銅の使用が始まったころには、この新しい金属材料で、いろいろの石器の形を、そっくりそのまま模造していたらしい。新しい素材に、より多くの適切な形式を発見するということは、存外容易なことではないのである。


 引用されている文章から、吉岡徳仁への補助線を探ってみる。
 そういう想像力のジャンプを読み手にうながすところも、また吉岡さんらしい。


みえないかたち  ~感覚をデザインする

みえないかたち ~感覚をデザインする