寺田寅彦著『柿の種』(岩波文庫)〜リンクした先の豊穣(ほうじょう)


 ひとつの興味があらたな興味に結びつき、そこで予想もしなかった驚きと出合う。本好きにとってはまさに理想的な流れで、この上もない喜び。
 先日書いた、吉岡徳仁さんの本で紹介されていた(id:rosa41:20090602)、物理学者・寺田寅彦さんのエッセイ『柿の種』を開くと、プロローグにつづいて、こんな4行がある。

棄てた一粒の柿の種
生えるも生えぬも
甘いも渋いも
畑の上のよしあし

・・・・・・うっ、すごく挑発的、と思いながらページをめくると、読み手の気持ちは、こんな1ページわずか3、4行で、一気に土俵際へと追いやられる。

眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。
しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じることができないようにできている。
なぜだろう。

 あるいは、こんなの。

 鳥や魚のように、自分の眼が頭の両側についていて、右の眼で見る景色と、左の眼で見る景色と別々にまるでちがっていたら、この世界がどんなに見えるか、そうしてわれわれの世界観人生観がどうなるか。・・・・・・
 いくら骨を折っても考えてみても、こればかりは想像がつかない。
 鳥や魚になってしまわなければこれはわからない。

 ある夕暮れ、ドトールの軒先の席で心地いい風を感じながら、そんなアフォアリズムめいた短文を読みながら、人目もはばからず、ぼくは「はぁ〜〜〜っ」と大きな溜息をついた。しかも、各文章につけられた初出が「大正十年」!(つづく)



柿の種 (ワイド版岩波文庫)

柿の種 (ワイド版岩波文庫)