寺田寅彦著『柿の種』〜人としての鮮度

 

 と、まあ、寺田寅彦ショックに遭遇したとき、ふいに思い出されたことがある。


 先日、BSイレブンの、阿川佐和子さんがホストの対談番組に、エッセイストの、えのきどいちろうさんが出ていた。ぼくの愛読&畏敬の書『妙な塩梅』の著者。


 そのえのきどさんが、「たとえ、その道何十年になったとしても、一人の人間として一定の鮮度を保つことは難しいと思うんですよ。それはプロとしてのレベルを保ちつづけることのハードルより、断然高い。今は、そのことをよく考えてます」といった、ニュアンスのことを話していた。


 やっぱり、この人は信じられる! 
 それを聞いた瞬間、えのきどファンのぼくは、心の中で小さなガッツポーズをつくったのだけれど、そういう意味では、えのきどさんの『妙な塩梅』も、いつ読んでも笑えて、唸(うな)れる鮮度がすでにあって、先の寺田さんの本も、人としての鮮度を保つには絶好の一冊になるぞ、そう思ってワクワクした。

 彼はある日歯医者へ行って、奥歯を一本抜いてもらった。
 舌の先でさわってみると、そこにできた空虚な空間が、自分の口腔全体に対して異常に大きく、不合理にだだっ広いもののように思われた。
 ・・・・・・それが、ひどく彼に人間の肉体のはかなさ、たよりなさを感じさせた。
 またある時、かたちんばの下駄をはいてわずか三町ばかり歩いた。すると、自分の腰から下が、どうも自分のものでないような、なんとも言われない情けない心持ちになってしまった。
 それから、・・・・・・・
 そんな事から彼は、おしまいには、とうとう坊主になってしまった。
                              『柿の種』より引用


 たった4行、あるいは8行(文庫本の上では)なのに、どうにも読み飛ばせない。
 ひとつひとつ立ちどまり、考えて、自分なりの読後感をかたちにしてからでないと前に進めない、いや、進みたくないと思わせる。そういう行間の深さと広さに少しとまどうとき、あらためて本のプロローグ文末の2行が眼に飛びこんでくる。

 この書の読者への著者の願いは、なるべく心の忙しくない、ゆっくりとした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたいという事である。


妙な塩梅 (中公文庫)

妙な塩梅 (中公文庫)