田口ランディ『時の川』〜原爆落ちて山河あり


 小説の登場人物が口にした言葉を、その足下にぽとりと落してみせる。
 さすが、というほかない。原爆をテーマにしたランディさんの小説『被爆のマリア』にある『時の川』という短編の話。


 その場面の登場人物は二人。被爆経験者で、修学旅行にやってくる学生たちにその体験を語っているミツコと、悲惨な体験を見ず知らずの人たちの前で勇敢に語ってみせるミツコに強い生命力を感じて圧倒される、修学旅行生のタカオ。彼は生まれつき体が虚弱で、クラスでもいじめられている。


 冒頭で紹介した部分は、タカオたちへの話を終えて、平和資料館から出てきたミツコと、気分が悪くなってベンチで寝ていたタカオが言葉を交わしはじめる場面に登場する。「原爆で死なないって、すごいです。選ばれた強い人だと思います」と話すタカオに、それを否定するミツコ。彼女は話しつづけながら「あの日」のことを思い出し、その延長線上で、タカオにいきおいこう語ってしまう。

「人が暮らしている真上にあんなものを落すわけだから、そこにいる人間は殺してもいいということです。おまえたちは無用だ。死んでいい存在だ。そういうことです。庭にまく殺虫剤のようなもの。それが原爆でしょ」
 資料館で見た真っ黒い原爆雲が蘇る。
「でも、そんなことは誰かに決められることではありませんから。だから、私は、なにがあろうと、人間として生きてきたんです」
 しかし、その言葉はどうしたわけかミツコを裏切って、ぽとりと足下に落ちたのだ。唖然として、ミツコは足下を見つめた。地面にはたくさんの蟻が列をなしている。つられるようにタカオを足下を見た。なにかが落ちた。それが見えた気がした。
 蟻がエサを運んでいる。タカオともミツコとも、まったく無関係に、人間の存在すら知らずに地面を這いつくばって行き来している虫。(後略)

 
 ミツコを裏切ってぽとりと落ちた言葉とは、戦中と戦後世代との隔絶かもしれないし、勢いあまって自分の人生を「正義」にすり替えてしまったことへのミツコの後悔かもしれない。あるいは、もっと単純に伝わりようのない言葉の比喩かもしれない。


 さらにその場面に、列をなす蟻を挿入した上で、「人間の存在すら知らずに地面を這いつくばって行き来している虫」と加筆する。それは「正義」と相対するものとしての「時間」や「生命」の比喩だろう。


 作者は、さらにその後で原爆投下地を今も流れる元安川を登場させて、ミツコに被爆語り部を辞める決心をさせる。その川の流れは、世代間の隔絶や「正義と悪」といった価値観、あるいは時代をも移ろわせる一方で、変わっているのに変わらないものとしても描かれている。


被爆のマリア (文春文庫)

被爆のマリア (文春文庫)