増田美智子著『福田君を殺して何になる』(2)(インシデンツ刊)

 より多くのエネルギーを投入するほど、その是非にかかわらず得るものは多い。書き手の一人として、この本を読んで改めて学ばせてもらったことのひとつ。
 この著者の取材対象への執拗さは、福田君への面会だけでなく、主にその父親や彼の弁護士、福田君の元獄中仲間などにおよんでいる。福田君本人以外は、相手側の拒否によってかならずしも取材がうまくできていない。


 だが、というか、それゆえに彼らの一面が露骨にあばかれている点が面白い。父親の支離滅裂ぶり、かつて、そして現在の弁護士や元獄中仲間の劣悪さなどが、結果的によく描き出されている。ヤメ検と呼ばれる元検事の弁護士の醜態もふくめて、法曹界のひとつの現実を知りたい人にはお勧めしたい。いずれも著者の取材がもつ執拗なエネルギーがもたらした反作用。


 もっと言えば、福田君の弁護側が、この本に対して出版差し止めの仮処分申請を裁判所に申請したことによる、一連の騒動も記憶に新しい(結果的にその申請は却下された)。
 書名でもある「福田君」が「●●君」と伏せ字にされて大手新聞各紙の社会面を飾った。福田君が事件を起こしたときの実年齢が少年法の適用範囲内だったせいだ。その一方では、ある新聞が掲載する某書店の売り上げランキングで同書が7位に入ると、その「福田君」のまま印刷されているトンチンカンぶりを披露して笑わせてくれた。


 つまり社会面の伏せ字は、少年法に則っての配慮ではなく、ただの「触らぬ神に祟(たた)りなし」の、事なかれ主義だったことを自ら種明かしした格好。まさに頭隠して尻隠さずな、たいへん生真面目な、嘘がうまくつけない人たちだ、まったく。


 だが、個々の取材対象に肉迫する虫の目は奏功している半面、この事件と裁判を俯瞰する著者の鳥の目が弱い。それが一問一答式の福田君とのやりとりの表記法ともあわせて、文章全体を作文っぽくしてしまっている。奇しくもそれは、福田君の元弁護士(後に解任されている)の総括が、この事件の裁判がもつ社会的意義を補完して終わっている本書の構成が示してもいる。
 ただし、技術は時間がたてばそれなりに身につくが、取材対象へのエネルギーの注ぎ方は先天的なもののように僕には思えるので、著者の次回作に期待したい。


 取材する者には、取材対象に肉迫しようとする強力かつ執拗なエネルギーと、的確な虫の目と鳥の目の両方がバランスよく求められる。そのことを改めて痛感させられる一冊。なお、同書はインシデンツHPより購入できます。(おわり)