城山三郎『粗にして野だが卑ではない』(文春文庫)〜粗でも野でもないが卑しい人たちの時代に

 もう読み終えるなぁと思いながらページをめくっていたら、ふいにグッときた。

○死亡通知を出す必要はない
○こちらは死んでしまったのに、第一線で働いている人がやってくる必要はない。気持ちはもう頂いている。
○物産や国鉄が社葬にしようと言って来るかも知れぬが、おれは現職ではない。彼等の費用をつかうなんて、もってのほか。葬式は家族だけで営め。
○祭壇は最高も最低もいやだ。下から二番目ぐらいにせよ。
○戒名はなくてもいい。天国で戒名がないからといって差別されることもないだろう――


 まさに死に方は生き方だなぁ。
 自分なりに精一杯生き切ったという自負心が、その行間から蒸せかえるように立ち上ってくる。上記の引用部分は遺言全体の半分ぐらいなのだが、これだけでも読む者をじゅうぶんに威圧してくる。そのくせ「祭壇は最高でも最低でもいやだ」なんて下りもチャーミング。 


 ここまでくるともはや一遍の詩で、遺言を詩にしてしまうその生きざまは見事。表題も本人の口癖であり信条でもあった「粗にして野だが卑ではないつもり」から採られている。


 三井物産役員から、乞われて旧国鉄総裁に転身した石田禮助。その生涯を追った故・城山三郎氏92年刊行の作品で、よく取材されているし、バブル崩壊後のサラリーマンに人気を集めた理由もわかる。だが、これを読むかぎりでは、精緻な時代考証と鋭敏な時代観を感じさせる司馬遼太郎のほうが、読後感は重厚。もう一冊何か読みたい。


粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯 (文春文庫)

粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯 (文春文庫)