みのれ〜ず通信(1)田植え体験

 田植えのため、前日夜、千葉県匝瑳市に入る。
 翌朝7時起きで、9時からの田植えの前に雑草抜き。今回で3回目だが、抜いても抜いても伸びてくる雑草の生命力にうんざりさせられる。


 同時に、その太い根の下をまさぐり、引き抜きながらふと思う。
 自分の片意地な、あるいはジコチューなところと似ている。ただし、46年も人間をやってきて、いまさら、それらの修正がむずかしいこともわかる。
 

 それでも執拗な雑草と似ているものとして認めることで、いくらかでも相対化できれば、少し違う抑え方ができるかもしれない。そう考えると、いくつか最近のジコチューな自分の言動が苦々しくフラッシュバックした。5月の涼しい風に、すでに田植えをおえた周りの稲田が穏やかにそよいでいる。


 そういえば、田んぼの先輩が、昨年、耕作放棄地の開墾からはじめたとき。
 ひとりの友人が、根深い雑草の根っこと格闘しながら、自分が仕事上直面しているある問題とダブって見えて、対処療法的なものではなく根本的な解決を図るべきだと悟った、そう話していたという話が思い出された。


こう書くと、そんなもの、わざわざ田んぼに行かなくてもわかるだろう、という突っ込みをしてくる種類の人たちがいるはずだ。もちろん、そういう人もいるだろうが、その「わかる」の深さは、人ぞれぞれ違う。