電車は止まらない(1)


 薄墨色の車窓の風景が、叩きつける雨に白くけむっている。
 電車は京都方面にむけて走っている。日曜の夕方、車内は静まり返っていて、電車のエンジン音と、線路を疾走する音だけが重たくひびいている。実家の最寄駅まで車で送ってくれた両親の、とりわけ母親の顔が思い出された。


 喉はまだ痛む。久しぶりに実家へ帰省したのに、取材先で体調をくずし、咳がひどくて寝てばかりいた。父が風邪をひくと、自分もうつるといつも苛立っている母には、悪いことをした。
 それでも、ひとつ屋根の下で、ひさしぶりに親子で寝ていることはまんざらでもなかった。深夜に咳が止まらないのには参ったが、体力が弱っていたからこそ、46歳の中年オヤジも気兼ねなく子どもに戻れたような気がした。


 実家で見つけた佐野洋子さんの単行本『ふつうがえらい』(マガジンハウス刊)を、手持無沙汰なのでパラパラとめくってみる。
 昔、ぼくが母に贈った本の中の一冊だった。今回、居間の本棚に見つけて、母に感想をたずねると「あんまり、印象に残ってないなぁ」とポツリ。暖簾に腕押しのような答えだった。


 ところが、本には所々、文章の右隣に赤色のボールペンで波線が引かれているのに気づいた。母は自分が線を引いたことさえ忘れていたのだろう、だからぼくが持ち帰るといっても、表情ひとつ変えなかった。それらの赤線はふいに、母の心の動きを盗み見るような気持ちにさせた。
(つづく)