電車は止まらない(2)


 佐野さんが、昔日のハリウッド俳優である、フレッド・アステアジンジャー・ロジャースの、名コンビぶりを書いた「人間相性よ」というコラムがある。2人の相性の良さを、大人になってから知った佐野さんは、
「相性がいいという事は人わざを越えるものなのだ」
 佐野さんの一文に、母の最初の赤い波線が引っぱってある。
 相性をテーマに、佐野さんは男女の仲へと文章を展開させる。

 
 身長170センチ以上、一流大学出、収入○○以上、誠実でやさしい人と、結婚を夢みる女達は条件を出すが、その全てを満たしても相性がいいか悪いか、誰にも分からない。
 多分、分からないから信じられないほどの身勝手な条件を出すのだ。運命という不可解なものの前でおののいて。いくら無謀な条件を出しても、その運命の前に人は何とつつましいものだろう。馬にとび乗るよりほか仕方ないのだ。

 この文章の前に、母がもうひとつ赤線を引いた箇所がある。
「馬には乗ってみろ、人には添ってみろ」


 ふたつの赤線を見たとき、思い出されたことがある。
 一晩寝てすこし具合がよくなり、昼ご飯を食べた後、小さな居間のソファに座って母とすこししゃべっていたら、彼女はこう切りだした。
「あんた、前、えみちゃんが朝早く仕事に出かけるときは、自分も同じように早起きしてるって言うてたなぁ」
「ああ、それがどうしたん?」
「それって、なかなかできへんことやわ」
「おいおい、いきなり親バカ攻撃かよ」
「ふふふふっ」


 相性がよくても悪くても、つづいていくものもあれば、つづかないものもある。ただし、つづいていくから良くて、つづかないから駄目だという話でも、おそらくない。
 ぼくは本を閉じて、母の引いた赤線の向こう側へ、すこし思いをめぐらせてみる。
 薄墨色の車窓の風景は、あいかわらず叩きつける雨に白くけむっている。電車は京都方面に向かっている。        (おわり)