佐野洋子『ふつうがえらい』

 地下鉄の乗り換える駅の、あるいはぶらりと立ち寄った公園のベンチで、さもなくば自宅ベランダのベンチで、読んでいた本の一節に心をグイッとわしづかみにされることがある。
 なにかしらぼんやりと思いながらも言葉にできていなかった考えとか、文字書き商売柄、ハッとさせられるような表現とかに出くわしたとき。いずれにせよ、本読みにとっては愉悦のひととき。


 それは、近所のドトールの、ホームからゆっくりと発着する電車を借景にして読めるテラス席で、ふいにやってきた。
「みっともないことをなりふりかまわずみっともなく出来る能力が愛する能力だと思う。これが難しいのよね」


 そう前置きして、一人の男をめぐって三角関係になりながら、つとめて理性的な態度をくずさない女友達の話を聞きながら、佐野さんはこう書く。どうやら、その相手の女は、ときには出刃包丁さえ持ち出して男を寝かせないのだという。

私理由はわからない。でも、ああみよちゃん、あなたの負けよ。出刃包丁が正しい。あの人はわたしのものだって追いつめるのが正しい、たとえそれで男を失ったとしてもその女が正しい、この正しいというのは正義というのではない。恋愛に「権利」などという言葉を持ち出すみよちゃんの負けだと、何かがわたしに教える。

 たいして恋愛経験はない。
 それでも、多少の駆け引きめいた遊びはいくらかあったとしても、恋愛の基本とはアホウになることで、そうなれる状態だと信じている。佐野さんの言葉を借りれば、あくまで「恋愛に対するこころざし」において。


 だから、たいして好きでもない相手と、何かしらの計算ずくで恋愛する人たちは、とっても賢いけどバカだと思う。同じように、すごく好きなのに理性や常識にからめとられて、アホウになれない人には、いのちがもったいないですねぇ〜というしかない。

ふつうがえらい (新潮文庫)

ふつうがえらい (新潮文庫)