NHKテレビ「吉永小百合被爆65年の原爆詩朗読コンサート」
抗いようのない説得力だった。
原爆で夫と、二人のうち一人の子供を失い、なおかつ、自分自身は結核を発病して、もう一人の子供と会えない境遇に陥った。母子で暮らし始めるのは、息子が高校生になるまで待たなければいけなかった。
うら寂しい病室で、母が子供たちに宛てて刻み続けた長編詩「慟哭」の存在を、はずかしながら、吉永さんの語りではじめて知った。
たとえば、「やかん」をめぐる一節。
原爆より三日目に吾が家の焼けあとに呆然と立ちました
めぐりめぐってたずねあてたら まだ灰があつうて
やかんをひろうてもどりました
でこぼこのやかんになっておりましたやかんよ
きかしてくれ
親しい人の消息をやかんがかわゆうて
むしように
むしようにさすっておりました
その情景を思い描かせずにはおかない視点。
「やかん」という題材がふくらませる生活感。
「むしようにさすっておりました」という平仮名がたたえる感情。
そして、ただ一人の息子とさえ長らく会えない病室で、母親が一人書きつづったという境遇の残酷さ。吉永さんの適度に哀切な語りがあいまって、聴く者の胸に迫ってくる。
その詩は、二人の息子の名前を延々と連呼したあとで、
「正義とは剣(つるぎ)を抜くことではなく、正義とは愛すること」で、結ばれる。
才能もセンスもいらない。
孤独とひたすら向き合い、それと取っ組み合いながらもなんとか生き抜くために、ひとりの母親がかじりつくように刻んだ言葉に、ぼくはぶん殴られた。