稲刈り体験(2)

 たかが藁(わら)、されど藁。
 刈り取った稲の束を高さをそろえて藁でしばる。竹で組んだおだに稲束をかけて天日干しするためだ。竹は、地元の農家さんと休耕田を借りている僕たちが、月1回、田んぼ周辺の里山を守るために伐採してきたもの。いわば、ゼロ・エミッション。


 現代の工業が「ゼロエミッション」などと偉そうに言いつのるずっと以前から、日本の農業は、そういう文化を「エコ」などという造語とは無縁な場所でつちかってきた。


 藁5本ほどでまず稲の束をいったん固くしばり、藁と稲の間に人差し指が入るほどの隙間をあけて、そこに藁の束をはさみ入れて留める。ハサミ等いっさい使わない。
 今まで50年近くお米を食べてオッサンになったのに、そんな技術も知恵もまるで知らなかった。そのくせ、日本の穀物自給率が40%というのだけは知っている。頭でっかち尻すぼみ、とはこのことだ。


 2日目の朝は、午前5時半起き。同6時過ぎから作業をはじめ、お昼前にすべての作業を終えた。ある農家さんが、ご好意で、今年採れた新米で釜炊きのおにぎりを振る舞ってくださった。


 薪で火を起こして炊いたご飯は、もちろん熱い。
 だから「握る」というより、お手玉のように左右の手で「転がす」感じに近い。そのせいで米粒の間に適度な隙間ができ、粒立ち感が味わえ、いっそうおいしく感じられる。おかずは粗塩だけの塩結びだが、これがめっぽううまい。早朝からの農作業で汗を適度にかいているせいもある。
 自分でも見よう見まねでにぎると、さらにうまさが増すのもおもしろい。熱いからハフハフ言いながら、みんなでワイワイ言いつつ食べる食べる。


 炊きたてのご飯と粗塩、それ以外に何のレシピもいらない。こんな塩結びみたいなオッサンになりたい、熱々のおにぎりをハフハフして頬張りながらふとそう思う。
 釜にこびりついたおコゲは、鰹節とお醤油をまぶして結び、一升三合の新米を一粒残さずきれいにいただいた。
 生まれて初めての稲刈りを無事終えた後、お米の偉大さを痛感させられる一方、お米好きであることが誇らしく思える極上ランチだった。