ピンチの充実感

 フーーッとため息をつきながら、両肩から脱力した。
 夜7時半すぎ、上海浦東国際空港が終点の地下鉄2号線「川沙」駅の改札口を出て地上にあがり、その交差点から2方向のバス停を探したが、188番のバス停がなかった。上海市内で取材を終えて、地下鉄を乗り継いでの帰り道でのこと。
 初めて降りる駅で、しかも日本と違って地下鉄駅からバス停までが遠く90mほどある。2車線、もしくは4車線の幹線道路の左右両側のバス停を確認するだけでも、かなり骨がおれた。


 そこで学生や女性に、単語カードに書いたバスの番号と、その終着点である「祝橋鎮(橋と鎮は、実際にはいずれも中国式略字表記)」の字を見せて、全身全霊をこめた満面の笑みで、英語でバス停の位置をたずねたが、笑ってしまうほど、それぞれの指摘はトンチンカン。交差点2方向のバス停をうろつき終えて、ついた長いため息が冒頭のそれだった。
 しかも、その間、188番のバスの後姿さえ見ない。交差点あたりをうろついているのだから、見てもよさそうなものじゃないか。「川沙」駅からなら、タクシーに乗っても30分ほどで、上海森松の社員寮まで帰れるとは聞いていたが、それは最後の手段にしたかった。料金をボラれるのも嫌だった。


 真っ暗な夜の人気のないバス停近くで、どっと徒労感につつまれたとき、ふいに思い出された光景がある。
 まずは、語学留学した韓国で言葉もうまく話せなかった頃、猛々しい喧騒につつまれたソウル市の中心街で、夏の炎天下、道に迷って一人焦りまくっていたアスファルトから立ち上っていた陽炎だった。
 あるいは、NY市ブルックリン地区の知人宅を出て、マンハッタン地区で2ヶ月間一人暮らしするため、ルームシェアしてくれる相手を探そうと、土地勘のない場所で地下鉄と市内地図の両方とにらめっこしながら右往左往したときの、人々の靴音や車のエンジン音が入り混じる街のリズムだったりした。


 なんとなく胸がジンとした。
 長い間さぼっていた宿題の1ページ目を開いたような新鮮さと懐かしさが鮮やかによみがえってきた。そして何より頭と身体をフル回転させて今生きている充実感が、一気に溢れ出てきた。
 すると、まだ確かめていない北側の道路へと左折して、停留所らしきところで赤のバックライトを点滅させているバスが見えた。あれだと直感して、ふたたび交差点まで戻り、そこにたまって客をあさっている個人のバイクタクシーの集団を無視して横断歩道をわたり、90mほど歩いた。薄ぼんやりと188番の文字が目に留まる。ちょうどそこにいた3、4歳の女の子づれの女性に、ふたたび単語カードを見せて訪ねてみる。もちろん、満面の笑みで。
 彼女は改めてバス停の表示を確認してくれてから、にこりと笑ってうなずいてくれた。どうやら、彼女が待っているのは、他のバスらしい。手をついだ少女も、変なオジサンねといわんばかりに笑っている。緊張感がほどけた。


 どうにか宿舎にたどりつき、シャワーをあびてベッドに寝っ転がり、読みかけの多田富雄著「寡黙な巨人」を開いた。世界的な免疫学者で、脳こうそくを患われて、先日他界された方。多田さんが倒れた後の絶望からリハビリを再開される経緯を、赤裸々につづられた一冊だ。「理想の死に方」という表題の文章があって、互いに能ファンだった白洲正子さんの、忽然かつ毅然とした死に方について書かれている。

それは平凡だが、『歩キ続ケテ果テニヤ(「火」片に「息」)ム』というようなことらしい。私は物理的には歩けないが、気持ちは歩き続けている。白洲さんも西行も、結局同じところに理想の死を見つけたのではないか。体は利かないがこれならできる。もう少しだ、と思って、私はリハビリの杖を握り、パソコンのキーボードに向かう。そして明日死んでもいいと想っている。」          (上記書より抜粋引用)

寡黙なる巨人 (集英社文庫)

寡黙なる巨人 (集英社文庫)