永田照喜治さんとの再会

 家の軒づたいに這うように伸びる、赤紫色のブーゲンビリアがなつかしかった。季節は11月、場所は沖縄ではなく、静岡県浜松市。約8年ぶりで永田照喜治さん宅を訪れた。水をあまり与えないスパルタ農法で、糖度の高い野菜を育てる永田農法の創始者。かつてユニクロの柳井さんはそれを「野菜のロールスロイス」と呼んだ。


 よく日焼けした顔に、ジーパンにGシャツに茶色のダウン。聴き覚えのある穏やかな声と、あのゆっくりとした口調。
 かつて、寿司飯の上に、生のままの細切れ野菜とゴマをふっただけの野菜ちらし丼をいただいた縁側が、同じ部屋の50センチほど先にあるガラス戸の外側にある。


 獲れたて野菜のエグみのない甘さと、飯の酸味が絶妙の濃くになった丼(どんぶり)のことが、永田さんの顔を見つめながらも鮮やかに思い出された。あれは一滴の調味料さえ要らなかった。あるいは、まるで貴腐ワインみたいにフルーティだった日本酒の味。何より、あの拳骨(げんこつ)みたいなトマト。
 一緒に歩いた北海道余市の、海に沈む夕陽色に染まるという斜面にひろがるトマト畑と、あそこでいただいた強い甘味と酸味が共存するジュースの味とか――それはとても不思議で、そのくせ居心地のいい時間だった。