服部文祥「サバイバル登山家」(みすず書房)

 先日、紀伊国屋書店で、小さく平積みになっているこの本を見つけて、裏表紙をめくると12刷りだった。いい本はしっかりと読まれていることをうれしく思う。

スーパーで肉を買い、自分の手を汚さないで食べるほうが、ケモノを殺す狩猟者よりよほど野蛮である、という意見を最近よく聞く。正論だといえるだろう。僕もこの本に似たようなことを書いてきた。だが、狩猟者が狩猟を楽しんでいる(殺生にはある種の興奮がともなう)ことと、狩猟は闘いではなく一方的な殺戮である(狩猟者側にリスクがほとんどない)ということを忘れたり、隠したりしたら、やはりそこには野蛮な部分しか残らない。

 この本のあとがきに書かれた服部さんの、このバランスのとれた視点を追体験するとき、ぼくはとてもドキドキする。
 物を食べることは、何かの命を食らうこと。
 今年お米づくりを体験してみて体感した学びのひとつ。もうひとつは、自分が食べるものを栽培することを通して芽生えた、生きる力と技術を高めることへの興味。それらにつながる洞察が、上記の文章にはしっかりと根付いている。


 同時にそれは、「僕は街にいると、自分がお金を払って生かされているお客さんのような気がして、ときどきむしょうに恥ずかしくなる」という彼の羞恥心とも、過不足なく表裏一体をなしている。そのチャーミングさにすこぶる心惹かれる一冊。

サバイバル登山家

サバイバル登山家