佐野洋子著『シズコさん』(新潮文庫)

 最初にのけ反ったのは、冒頭の「私はずっと母さんが嫌いだった」という一文の後ろに、「本当は好きになりたかったんだけれど・・・・・・」という書き手の感情が、はっきりと見てとれたこと。
 それは母娘の強い絆ゆえではなく、その一文の後ろに筆者である佐野さんの感情がぴったりと貼りついていたから、としか言いようがない。
 つづいて呆気にとられたのは、あからさまな母娘の確執の書き方。認知症が進む母とトンチンカンな対話をしながら、佐野さんはこうつづる。

私は正気の母さんを一度も好きじゃなかった。いつも食ってかかり、母はわめいて泣いた。そしてその度に後悔した。母さんがごめんなさいとありがとうを云わなかった様に、私も母さんにごめんなさいとありがとうを云わなかった。今気が付く、私は母さん以外の人には過剰に「ごめん、ごめん」を連発し「ありがと、ありがと」を云い、その度に「母さんを反面教師」として、それを湯水の様に使った。でも母さんには云わなかったのだ。


 この本では親子の厄介さ、愛情の禍々(まがまが)しさが、このような端的さでくり返し書かれる。程度の差こそあれ、誰もがどこかで心に刺さる文章に出合うはずだ。身内の恥をさらし切ることで、見事に作品として昇華されている。


 極めつけは、佐野さんをふくむ三姉妹の会話の饒舌ぶり。
母親の顔が、昭和初期に流行ったワインのポスターの女に似ていると、次のような会話が交わされる。

「似てるって云や似てるけど、ただむっちりとしてりゃあいいってもんでもないよ」「だから違いのわかんない田舎者の父さんが、むっちりしているのが東京の美人と思っちまったんだよ」「じゃあ、叔母さんは?やせてて背が高くて顔はからかさすぼめた様なのに」「あれは男にもてるって思っているんだよ。男も苦労したと思うよ。だってほめるとこないと部分をほめるじゃん。『私は白目が光るのよ。それが色っぽいと云われた』って云ってたよ」「白目をほめるっての初めてきたよネ」――


 こういう奔放な語りは、男にはなかなか書けない。
 女性のこのあからさまな会話はテンポといい、その内容といい、もはや文芸の域にある。向田邦子さんの文章にも、この手のものがある。
 独白体だから少し違うが、男性ながら谷埼潤一郎が『卍(まんじ)』で書いた大阪弁による女性の一人語りを、地の文だけでつづった文章とも似ている。

シズコさん

シズコさん