「白洲正子 神と仏、自然への祈り」展(世田谷美術館・今月8日まで)

文化は発達しすぎると柔弱に流れる。人は自然から離れると病的になる。

 1970年、大阪での万博博覧会に沸く日本人に背を向け、独り近江の山々に分入り、日本古来の自然信仰の痕跡を訪ね歩いていた白洲さんの言葉だ。背後を走り抜ける新幹線を尻目に、「新しいものはすぐに古くなる」と、一瞥(いちべつ)もくれなかったその孤立無援の精神のつぶやきは、41年後の「3・11」をも串刺しにしている。


 渋谷での取材をおえて、半蔵門線に乗り換え用賀へ。来月8日で終わる白洲正子展に行く。彼女が巡り歩いた寺社の120点もの美術品を集めた展覧会。目的は2つあった。先のNHK日曜美術館で観た二対の仏像を生で観てみたかった。


 ひとつは、焼損した千手観音像。すべての手が焼失して胴体だけが燃え残った観音像。
 だが、ぼくがグッときたのが、白洲さんが自宅において、日々お香を焚いて眺めくらした十一面観音像のほうだった。これも頭の十面観音が真っ黒に焦げ、顔から左半身、両膝にかけて焼けている。左手の焼失した1m10センチほどの立像。


 精緻に彫り込まれたものではない。
 顔などは割と無造作な造形で、横長のぼってりとした顔と、分厚くて、これまた横長な唇がシンメトリック。唇に呼応するかのように切れ長な両眼はしずかに閉じられている。おそらく、そこが白洲さん好みの「初(うぶ)さ」なのだろう。20分ほどその前でぼんやりと眺めてみる。


 お世辞にもきれいとは言えない観音立像のどこに、白洲さんがそれほど感情移入されたのか。ひとり静かに頭をめぐらしてみた。
・・・・その全身が焼けただれてなお、祈りつづけ、信じつづけるかのような面差しに、清濁を合わせ飲み、理想と現実の落差に自分なりの折り合いをつけながら生きる人間の、汚れと輝きを重ね見たのではないか。


 この文章冒頭のような言葉を残す、冴え冴えとした目ん玉を持ち、孤独を恐れず、己(おのれ)が信じるところを果敢に生き切ったかに見える白洲さんをしてなお、そんな葛藤をかかえておられたのかと思うと、どこかやるせなく、そのくせホッとさせられる。白洲さんの強さと弱さが、その小さな観音に凝縮されているみたいで。