新緑とデスマスク

 五月の連休から梅雨までの間が、走るにはもっともいい時期かもしれない。多少初夏めいた暑さでも、風が涼やかだから、汗まみれになることはない。何より新緑の美しさを満喫しながら、マイペースで走る心地良さがいい。


 連休前から、4日に一度のペースで一時間ほどチンタラ走り始めた。東京マラソン以降、二カ月ほどまるで走ってなかった。ひと月もたつと、だいぶ足が戻ってきた。30分すぎると足が軽くなり、加速しそうになる身体を感じる。


 肩甲骨を少し意識して動かすと、上体の力みがとれてリラックスする。そのとき、ふいに母のデスマスクが思い浮かんだ。あの気持よさそうに昼寝でもしてるみたいな表情が、だ。15分、20分と握りつづけても少しも温かくならなかった白い手の、ひんやりした感触も鮮やかによみがえってきた。


 生と死は、いのちの表と裏でしかない。
 額に汗をにじませて5月の夕方を駆け抜けながら、そうストンと腑(ふ)に落ちた。けっして悲観的でも、自暴自棄なのでもない。ぼくの生の中に母の死がある。だから母は永遠に消えないし、誰にも消せない。この目に鮮やかな新緑もやがては枯れ、来年にはふたたび茂らせる一本の木のように。