南佳子「船の旅」展〜ドット、あるいは破線と、センチメント(ミュセ浜口陽三ヤマサコレクション7月31日終了)

 たとえば、丘の上の羊飼いの少女を描いた絵は、中央の丘はバームクーヘンみたいな縞模様が5ミリほどの破線で丹念に描かれていて、右上に昇るオレンジ色の太陽までが、同じような破線のぐるぐる巻き。

 南洋系の朱色の花なら、四葉のクローバー形の花弁がぎっしりと並ぶ狭間に、メルアドの「.(ドット)」めいた点が生真面目、かつ執拗に散りばめられている。その花を支える9枚のモノクロの葉は、先のドットよりは少し長く、破線と呼ぶには短すぎる線の濃淡によって陰影が加えられている。
 いずれも銅版画だから、じつに息の詰まる長い作業と高い集中力を感じさせる。

 その執拗に連ねられる破線やドットのリズムゆえか、どの絵にも音楽を感じる。だが、けっして華やかなものではなく、どこか切れ切れで、かつ静謐(せいひつ)であり、淡々とつづく通奏低音めいたもの。

 それを土台に、数羽の鳥やたたずむ城砦、海、魚。あるいは、南作品の定番キャラでもある丸顔に切れ長な目の、いかにも寂しげな少女といった素材が、ぽつねんと置かれて作品が構成されている。
 
 さしずめ、破線やドットによる低音部と、個々の素材が醸し出す高音部が合わさってひとつの旋律となり、画面上のたっぷりとした余白が、自ずとセンチメント(感傷)を浮かび上がらせる、といった趣向。

 よく見ると、本来なら重なっていて見えるはずのない建物の輪郭が、それぞれきちんと描き込まれていたり、その平板さを逆手にとって、少女や魚がぽっかりと空中に浮かんでいるかのようにも見え、ひそやかなダイナミズムを育んでいておもしろい。