しあわせとふしあわせのあいだに咲く花

「この田舎を、何時間も何時間も歩き回った者は、ここには果てしない土地、麦かヒイスの生えた土地と果てしない空の他には、実際、何もないのだという感じを抱く。馬も人間も蚤のように小さい」
 牧師になる夢も、子持ちの娼婦と暮らしつづけることもかなわなかった画家は、オランダ東北部のジョレンテについて、弟への手紙でそう書いている。彼はその土地で生きる人たちの働きぶりと暮らしぶりを追いかけた。

「百姓達は野良仕事に忙しい、――砂運びの車、羊飼い、道を直す人夫達、肥料車、街道筋の小さな宿屋で、紡車を前にした婆さんを写生した。お伽噺から出て来た様な、小さな黒い輪郭――明るい窓に向かった小さな黒い輪郭、その窓からは、晴れた空、繊細な緑の野を横切る小径、草をつつく鷲鳥の群れが見えた。
(中略)

 夜が来る。戸は暗い洞窟の入口の様に開け放たれる。後の板張りの裂け目から、空の光が僅かにさす。泥と毛の塊りの旅隊は、洞窟の中に消える。羊飼ひとランプを持った女が戸を閉める。これが、ぼくが昨日聞いたシンフォニィの終曲だ。一日は夢の様に過ぎた。僕はこの哀しい音楽にすっかり気を奪われ、文字通り飲み食いさえ忘れていた。宿屋に行って、珈琲を一杯、黒パンをひと切れ、それから紡車を写生した。」

 「狂気」とか「悲運」といった言葉で語られることが多い画家は、その一日をこうも喩える。傑作百点の展覧会から戻って来たような感じで、そこから持って帰るのは、ただ数枚のスケッチと、働こうという静かな熱だ、と。
 
 出口がないようにさえ見える暮らしにひとつの旋律を聴きとり、それをリズミカルな文章に凝縮する筆力、何よりその一日を追いかけながら共に生きている画家の濃密な時間が、あでやかに今ここに咲いている。この手紙から約2年半後、あの『馬鈴薯を食ふ人々』が生まれてくる。

小林秀雄全作品〈20〉ゴッホの手紙

小林秀雄全作品〈20〉ゴッホの手紙