「囚人」の切れ味 〜 イーユン・リー『黄金の少年、エメラルドの少女』


 束の間でも我を忘れられるなら、できるだけ巧妙に、そして甘美にだまされたい。うすのろな日常を生きているからこそ、人は大なり小なりそんな願望を抱えている。恋愛も、詐欺も、そして小説も、それらに手を伸ばす人の心の隙間はとても似ている。そしてイーユン・リーはとても巧みで甘美な書き手だ。


 この短編集におさめられている『獄(prison)』は、幼い子を失った在米中国人の夫婦が、喪失感を埋めるために、中国の貧しい村の女を代理母にして新たな子供を手に入れようとする内容。2万元で彼女の子宮を子供が生まれるまで買い取ったのだ。インテリでそれなりに裕福ながら40代半ばの妻は、中国で自分が選んだ薄幸で無教養だけれど、自分の夫の子供を宿した若い女性と共同生活を始める。

 
 何度かの感情的な対立をへて、ようやく二人の女性の間に信頼関係が芽生えた矢先、ある事件が起き、二人の主従関係が逆転する。在米中国人妻の名が一蘭(イーラン)、貧しい村の女のほうが扶桑(フーサン)。

そして止める間もなく台所に駆け込み、食卓の上に上がった。あとを追って台所に来た一蘭は見た。扶桑の小さな身体が、いきなり脅威となってそびえ立つのを。「いまから何度も飛び降りて、体から振り落としてやってもいいんだよ。お金なんて、くれなくてもかまわない。旦那のところに戻ればいいんだからね。あたしは欲しければまた子供を作れるけど、あんた、今度だめだと言ったら双子には一生会えないからね」
 穏やかな美しさが消えた扶桑の顔は、怒りと憎しみを湛えて赤らんでいた。一蘭は思った。これが母親になる代わりに私たちが払った代償だ。我が子を愛すれば、この世の人間すべてを敵に回しかねない。たとえなだめる言葉を探して、なんでも望みどおりにすると言い含めたところで、ともに築いた愛と信頼の世界はもう崩れ去ったことを一蘭は知っていた。一緒に暮らしているかぎり、二人は互いの囚人なのだ。

 この「囚人」という言葉が、それまで覗いていた望遠鏡をいきなり逆さにされたかのように、読み手を物語から一気に引き離して俯瞰させてしまう。優れた短編にはそんな冴え冴えと光る刃物みたいな言葉が欠かせない。

黄金の少年、エメラルドの少女

黄金の少年、エメラルドの少女