弁柄(べんがら)色の祝福

 還暦を過ぎたら、身体は老いていくんだけど、内面はむしろどんどん若返るのよ。だからもう60年、つまり私、120歳まで生きちゃうかもしれないわよ。たとえばね、食べ物の好き嫌いが逆転して、子どもの頃に嫌いだったものが近頃ふたたび嫌いになったりとかねぇ、いろいろと面白いわよぉ。
 へぇ〜、そういうものなんですかと、ぼくはただ相槌(あいづち)を打つ。その女性経営者の方は年に一、二度お会いしていただく度に、そんな話をうかがえるのでいつも楽しい。少し白髪まじりの髪に、黒のサングラスと黒のショール姿でさっそうと歩かれる彼女は、都内よりもむしろパリ辺りのほうが似つかわしい。実際に彼女はパリに事務所兼アパートメントを以前借りていらした。


 拙著の出版元がなかなか決まらずに私が凹んでいたときも、「初志を貫徹しなさい」と励ましのメールをいただいた上に、そのための取材費まで気前良く貸していただいた。そこで、ようやく出来上がった拙著とお借りしていたお金を持って、彼女のオフィスをランチタイムに訪ねたときのこと。


 化学調味料など一切使っていない具沢山の汁物と、焼き魚と温野菜の蒸し煮、それに冷製サラダとご飯という、ホッとするような和食店のランチをご馳走になった後で連れて行っていただいたのが、一軒の古物商だった。いつものように喫茶店に行くものだと思っていた私は戸惑った。大丈夫、ここでもお茶は飲ませていただけるのよ、わたしはねと彼女は悪戯っぽく微笑まれた。


 勧められるままに店奥に入ると、いくつかの茶碗が目の前にずらりと並んでいた。中でも125万円という黒の楽茶碗が目に留り、思わず息を飲んで肩に力が入る。場違いな場所に迷い込んでしまったなと思っていたら、熟した柿を模したおはぎとお抹茶が運ばれてきた。慣れない竹串でなんとか切り分けて口にふくむと、上品な甘みで美味しい。ここで油断した私が、お抹茶に手を伸ばすと、お抹茶はお菓子を全部召し上がってから、口の中に甘さを残したままいただくものなのよ、と彼女に釘を刺された。不作法で失礼しました、と素直にお詫びする。ああっ、やってしまったぁ。


 その後、彼女の前にひとつの木箱が運ばれて来た。箱を開け、包まれていた白い紙をとり、さらに紫色の布を解くと目にも鮮やかな弁柄色の茶碗が現れた。茶碗の外側には大振りな鯛が、その内底には藍色で「福」の字が書かれている。なかなか大胆な色づかいと漢字の意匠。はい、これいただくわと彼女は言い、先ほど私がお渡したした際に中身を確認さえされなかった封筒をそのまま、お店の女性オーナーの方に手渡された。


 これで今日は、私にとってお目出度(めでた)いことが2つできたというわけよ。あっ、そうだわ、荒川さんの御本は、署名して彼女(女性オーナー)に差し上げて、私にはあらためてもう5冊送っていただける? きちんと署名したものをお願いしますね。
 予想外の展開続きに、ぼくは一瞬狐につままれたような気持ちになった。お金は天下の回り持ちというか、いや、ちょっと表現が違うか、とにかくその鮮やかな祝福にただただ圧倒され、先ほど見た滴るような弁柄色がまだ目の前にちらちらしていた。