海の底の龍宮

 海の底の景色も陸(おか)の上とおんなじに、春も秋も夏も冬もあっとばい。うちや、きっと海の底には龍宮のあるとおもうとる。夢んごてうつくしかもね。海に飽くちゅうこた、決してなかりよったー。

 石牟礼道子著『苦界浄土』第三章、「ゆき女きき書き」のこの部分を読んでいて、耳にふと旋律がよみがえった。海援隊の歌のモノローグでたしか耳にしたことがあると思い検索したら、「水俣の青い空」だとわかった。水俣病で身体の自由を奪われ、着物の前も自分で合わせられず、我が子も抱けない妻であり母親である「ゆき」の語りを、石牟礼さんが聞き書きした部分。病院のベッドの上で晩にいつも想い出すのは、やっぱり海の上のことじゃった、とゆき女は語る。 
 それを武田鉄矢が穏やかに、かつ淡々となぞるように語っている。その熊本の漁師言葉そのものと韻律の美しさに心打たれ、なおかつ切なく沁みわたる。


 熊本県不知火湾ぞいに発生した水俣病は、その創業者が地元の歴史的人物であり、その日本窒素肥料株式会社(当時)の法人税と固定資産税、電気ガス税、そして従業員の収入にかかる源泉徴収が、昭和36年度の水俣市の税収の大半を占めていた。似た過ちを、わたしたちの社会がくり返していることがよくわかる。