怪人二十面相

 小学校の頃、江戸川乱歩怪人二十面相シリーズをどこに行くにも持ち歩いていた時期がある。小林少年や明智探偵に追われて、ときに郵便ポストや電柱に変身して見事に姿をくらます怪人に心を奪われた。その正体不明の男の変幻自在さにすっかり魅了され、ぼくは胸を高鳴らせながら物語に引きずり込まれていった。


 岐阜での経営者取材を終えて大阪の実家に1泊した後、京都府宇治市の住宅街を巡回する軽トラックの助手席に座りながら、そんな子ども時代を思い起こした。
「この前もらった大根、美味しかったわぁ。あれから生協で買わんと、お宅が来るのを待っててんでぇ」「奥さん、これ九条ネギやて、ずいぶん大きいし安いやんかぁ」「ほんま?、うちもこれ一つもらうわ」・・・
 曇天から時おり小雨が降る寒い正午過ぎだったが、地元訛りにおもわず頬がゆるんだ。見るからに純朴な27歳の農産物生産者が、週1回行う直売サービスに同行させてもらっていた。彼とはその日初対面。毎日会う相手がこんなに違う仕事もそうはないよな、そう思うとふたたび頬がゆるむ。


 1時間半ほど同乗させてもらい、ずっしりと重たい白菜と九条ネギと大根を買い、いったん荷物をJR京都駅のコインロッカーに預けて、市営地下鉄で国際会館へ向かった。来春出走する京都マラソンの折り返し地点で、かつ最大の難所といわれる狐坂をこの目で確認するためだ。