至福の目ん玉〜藤山直樹著『落語の国の精神分析』(みすず書房)

 
 ふと目に留まる、気になって手に取る、読み始めると一気に引き込まれてしまうその瞬間にこそ、本読みのたまらない歓びがある。在米中国人小説家、イー・ユンリー以来のそんな一冊。少し長いが、同書の「立川談志という水仙」の一節を引用する。


『高座に上がってまで自分の落語家としての現状について語り、自分がどのように落語という話芸に新しい何かを吹き込もうと絶望的な努力を繰り返しているかを赤裸々に語る談志という存在はいったい何なのだろうか。彼を観るという体験は、通常の落語を観るという体験から遠く懸け離れている。そこは極楽ではない。絶えず新しい何かを落語というものや個々の根多(ねた)に付け加えようとする、そしてその試みの出来が悪かったと言っては死を考える、そういう孤独な芸術家の格闘の繰り広げられる修羅場である。おだやかで自足的な落語の国の住人を垣間見るという、ふつうの落語を観る体験とは正反対の体験だといっていい。』


 読み手が思わずのけ反ってしまうような、ぎょろりとした目ん玉を行間の背後に埋め込めるかどうか。文章を書くという貧相なストリップが示しうる何かは、そこにしかない。

落語の国の精神分析

落語の国の精神分析