中腰の季節

 眼下の3点をほどよい等間隔で視野に入れ、まず中腰にかまえる。老人のアゴ髭のような根っこをひょろひょろと伸ばす3本の苗を、左手の束からつまみ上げ、田んぼのトロトロ層にすっと刺す。つづいてテンポよく、すっ、すっと残る2点にも横並びに刺す。
 貝割れ大根よりは気持ち太い程度の、頼りなげな緑色の苗はそれだけですくっと立つ。これぞ冬水田んぼの快感。た・ま・ら・ん。田植えの達人にでもなった気分だが、けっして長くはつづかない。


 幅20mほどの直線を2人で手分けし、横移動しながら一列を植えると、そのまま後退して、また横移動で同じ作業をくりかえす。この繰り返しだから、どうしても長靴で踏みつけた部分がへこんでしまい、水面下で周りのトロトロ土を手でかき集めないと苗が立たないせいだ。だが、達人になると、冒頭の調子で終始植えられるらしい。
 想像するに、足の置き場も規則的、かつ等間隔を保てているためだろうが、そんな技術は残念ながら、4年目でも身につきそうにない。


 さらに左隣の田んぼの水が、畔の数カ所から漏れ出てきて田んぼの水量が増え、短い苗はさらに水没の懸念が高まる。その度にみじかい溜息をつき、畔の漏水を止めるべく、左隣の田んぼの穴を探し出し、近くの粘土質の土をスコップで掘ってふさいでやる。水面の動きでたやすく分かる場合もあれば、表面上は水の動きがわからない場合もある。
 そのときは、手で水面下の畔を探り、漏れ出る水が濁るかどうかで、修復個所の目星をつけなくてはいけない。朝7時から作業開始で、昼食も取らずに午後3時半までの間に、合計4回もの畔の漏水があり、その度に田植えを中断させられた。調子のいいときなどやはり短く、日常は愚鈍な一進一退をくりかえすしかない。


 それでも田植え中に中腰から上体を起こしてみれば、5月上旬の気持ちのいい晴天が頭上にある。身体が冷えきるほどだった前日の雨が嘘みたいだ。両側の丘陵地にはさまれ、水田が右ドッグレッグ状につづく谷津田を時折渡る風も、両頬に心地いい。カエルの威勢良い鳴き声と葉ずれの音以外、何もきこえない。濃厚な緑から蛍光マーカーのような黄緑色まで、変化に富んだ里山のグラマラスな新緑が静かに見守ってくれている。音楽もニュースもyoutubeも一切いらない。