まぶしい礼節〜ヨネクラボクシングジム創設50周年祝賀パーティ

 ご自宅で取材をさせていただいた後、最寄り駅まで向かう近所のバス停まで送っていただいた。色は忘れたが、分厚いジャンバーを来ていらしたことはぼんやりと覚えているから、晩秋か冬だったはずだ。


 もし風邪でも引かれては申し訳ありませんから、どうぞ、ご自宅にお戻りくださいとお願いしたのに、大丈夫大丈夫とおっしゃって、彼は結局、バスが来るまでわたしと他愛のない話をしながら待ってくださった。車窓の向う側でどんどん小さくなる彼に向かって、何度も何度もお辞儀を繰り返しながら、ぼくは心を鷲づかみされている自分を感じていた。


 生まれて初めて大人への憧れを覚えたのは、30歳近く年下の若造相手に、彼があのときに見せてくださった礼節だった。本自体はぼくが生まれて初めてゴーストライターとして取り組んだ仕事で、今思うと生真面目すぎてサービス精神に欠け、申し訳ない出来だった。


 ある正月早々にお電話をくださり、拙著原案のテレビ放送にお祝いの言葉をくださったときも、その間ご無沙汰していたぼくは受話器を握りしめながらベージュ色の壁に向かって、やはり何度も何度もお辞儀をしていた。


 米倉健司さんが創設されたジムの50周年祝賀パーティにご招待いただき、夫婦で全日空ホテルに出かけて来た。この日が米倉さん77回目の誕生日だったとは、うかつにも知らなかった。1000人は裕に越える出席者を前に、昔ながらの張りのある声で手短に挨拶されたのを聞いて、まだまだお元気でいらっしゃることもわかった。自分が心底大好きなことを極めながら年齢を重ねる、そのお手本のような方。奥様とご一緒に、これからも益々のご健勝をお祈りしたい。