中年ピノッキオ(1)

 左手はひと息には届かない。最初は、電車の吊り革を握っている右手を少しずつつたって、吊り革がかかっている銀色の軸部分まで手をあげる。そこから銀色の軸を左方向に指をはわせ、左肩を同じくらいの場所ではじめて握る。


 そして上半身を前に傾けると、左上腕の固くなっている筋肉が少し伸びる気がする。つぎに、上半身を後傾させて左腕を伸ばすと、さっきの上腕部と、肩裏側の筋肉が少し伸びて痛みが走る。ふたたび、そこから手を離して下ろすときにも、無理に伸ばした分、左上腕がきゅんと小さな声でも上げているみたいな痛みが走る。それぞれを良き友人にしないと、リハビリはつづかない。


 年配の知人夫妻と、JR中央線西荻窪にランチに出かけた帰りの電車内でのこと。近頃、電車に乗ると、先の吊り革で5回ずつ冒頭の運動を繰り返している。もし、周りからぼくを注視している人がいれば、ちょっと変な人と思うかも知れない。だが、そんなことは知ったことっちゃない。


 5月末に左上半身に怪我を負い、約1カ月間、左腕を左脇に固定していた。最初は複数の骨が早く引っつくことばかりを願っていたが、ひと月たった辺りで、それ以上の課題があることを思い知らされた。わずか1カ月動かさなかったぐらいで、左腕とその周りの筋肉がカチンカチンになっていたからだ。そこから3週間強がすぎて、リハビリとマッサージを反復することで、まるで昔に貼ったガムテープを段ボールから音を立てて剥がすみたいに、固まった筋肉が一気に動き始めている。


 今日お会いした知人にうかがうと、年をとって足の骨を骨折して動かなくなると、今度は内臓も動かなくなってしまうらしい。人の身体は動かさないとその機能を失うようにセットアップされている。