追いつ追われつ

「先月も高知県の小学5年生の男の子が、あの本を読んで手紙をくれたんですよ。本屋さんで見つけてくれたらしくて、今度、広島に研修で行く予定があるので、できればそのときに自分の目で被爆ピアノを見たり、矢川さんにお会いしてみたいですってね」
 約1年ぶりでお会いした矢川さんから思いがけない話を聞けた。矢川さんの処女作『海をこえた被爆ピアノ』の取材協力したぼくにとっても、うれしいニュースだった。商売冥利に尽きる。2010年7月に小学校高学年以上向けに出版され、先日1000部増刷が決まって3刷り出来となり、着実に版を重ねている。同年9月には米国ニューヨーク市でも数カ所でコンサート
を行った。


 被爆ピアノとは、広島に落とされた原爆の爆心地近くで焼け野原だった場所で、奇跡的に燃え残ったピアノのことを指す。矢川さんは、そのピアノの持ち主から寄贈され、それを修復して楽器として再生し、平和をテーマとするコンサートなどでに東西奔走されている。ひさびさに六本木ヒルズ内で被爆ピアノも登壇するコンサートがあり、再会した。その日も、前夜に大阪のコンサートを終えて深夜ピアノを積んだトラックを走らせ、短い睡眠時間だけで当日の調律を終えたばかりだった。62歳の情熱は健在。


 今年の8月6日も、広島球場での広島・阪神戦の途中で、吉川晃司が被爆ピアノの伴奏で『イマジン』を歌った。さらに矢川さんの地元、広島のテレビ局の1時間の特集番組として、ジャズのハービー・ハンコックが、矢川さんのピアノ工房に被爆ピアノを訪ねる予定があるという。


 先の本のエピローグは、「五十二歳ぐらいまでひっこみじあんだったはずなのに、気がついたら、わたしはこんなに物事を前向きに考える人になっていました」という一文から始まる。被爆ピアノとともに全国を回り、魅力的な大人や子供たちと出会う中で矢川さんが多くのことを学び、成長して行かれたことを含意している。先月五十歳になった自分は今、そのエピローグの一文にあらためて励まされもすれば、焦りもする。

世の中への扉 海をわたる被爆ピアノ

世の中への扉 海をわたる被爆ピアノ