飛べない自由〜中村文則『掏摸(すり)』(河出文庫)

 米国のクライムノベルかと見まがうような硬質な文体。短く句読点を入れてテンポを高め、読者をぐいぐいと引っぱりこんでしまう腕力に圧倒される。文章に心地よく引きずり回される、マゾヒスティックな感覚をひさしぶりに堪能する。


 反社会的な存在である掏摸を素材にしながら、その主題は個人を取り囲む危うさにある。スリリングな物語はあくまで寓話にすぎない。より巨大な悪にからめとられ、金持ちしか狙わない一人の掏摸がその命をひねり潰されそうな場面で、小説は唐突に終わる。


 読み終えたときに既視感をおぼえた。数日後、それは石田徹也遺作集の表紙に使われている、一枚の絵だったことにようやっと気づいた。背広姿の青年が、地上につながれた古びたプロペラ機にすっぽりと収まり、両手をひろげて、飛べない自由に表情を失い黙って耐えつづけているやつだ。


石田徹也遺作集

石田徹也遺作集