フォロワーの国 〜〜 吉見直人著『終戦史 なぜ決断できなかったのか』(NHK出版)

 1945年6月、つまり原爆投下を招く前の時点で、連合国側に対して日本の降伏はありえた。だが結果から見れば、それは8月の2度の原爆投下後にまで先送りされてしまった。英国国立公文書館に保管された、膨大な機密文書の分析作業、関係者の戦後証言やインタビューなどを軸に、その2カ月の謎に迫ったのが本書だ。

 同時にそれは、「暴走する当時の陸軍に引きずられた政府と外務省」という終戦にまつわる定説をも覆す、数多くの事実を丹念に拾い集めている。


 この本は、2011年から12年にかけて複数回放送されたNHKスペシャル「シリーズ 日本人はなぜ戦争に向かったのか」と、その関連番組の内容に、追加取材を加えて書籍化したものでもある。
 本文で引用されている文献やインタビューの豊富さはもちろん、巻末の40ページ近い注釈のボリュームを見ただけで、この一冊に注がれた労力と時間がじゅうぶんに感じとれる。


 この本で目を引いたのは、以下の文章で突然現れる「フォロワー(追随者、特定の人のTwitterをフォローする人)」という言葉の使い方(前掲書P309)。

 つまり、鈴木(貫太郎首相)は昭和天皇の意志を具体化するための忠実な僕(しもべ)として機能したのであり、リーダーではなく、昭和天皇の「フォロワー」としては適任な人物だったようである。
 リーダーシップを発揮しようとしなかったのは、ひとり鈴木だけではなかった。梅津参謀総長もまた昭和天皇の「フォロワー」であったことはすでに指摘したが、おそらく、当時「構成員」とか「六巨頭」とか言われた日本の指導者たち全員が「フォロワー」ではなかったか。昭和天皇は戦後、「木戸(内大臣)は米内(海軍大臣)にも東郷(外務大臣)にも鈴木にも意見を聞いたが、皆講和したいと云う、然し誰も進んで云い出さない。それで私は最高指導会議の者を呼んで、速やかに講和の手筈を進める様に云った」と回想している。  
*( )注釈はスチャラカ


 敗色濃厚な中、いかに天皇制を維持したままで降伏にたどりつけるか。その国家の存亡を賭けた瀬戸際にまで追いつめられながら、日本の指導者たちは無為無策なまま結論を先送りしつづけ、最後は昭和天皇自身に決断させ、戦争遂行者としての責任を回避するというダメダメぶりを露呈する。
 それが、こういうテーマには本来似つかわしくない「フォロワー」という受け身で、付和雷同な語感と意外なほどぴったりと重なっている。その言語センスが卓抜。


 近頃のテレビによく登場する、不祥事にまみれた経営者たちの貧相な顔つきや釈明も、まさに「組織やコスト至上主義」のフォロワーと呼ぶにふさわしい。
 いや、彼らだけではない。終戦当時も今も、そして組織でも家庭でも、おびただしいフォロワーがウヨウヨしている。だから、この本が言い当てた事実は古くて新しい。拙ブログで以前書いたが、原理原則をもたず、手前勝手に思考停止する日本人の弱点を指摘した内田樹著『日本辺境論』(id:rosa41:20130210)にもつながっている。

終戦史 なぜ決断できなかったのか

終戦史 なぜ決断できなかったのか