いい文章への尻尾

  ひょんなことから、ある歌会を見学させていただく機会をえた。歌会とは、自作の短歌を持ち寄り、批評する集まりのこと。そこで最近、最愛のご主人が老人施設に入所されることになった、女性の歌に触れることができた。


  入所わずか2日目なのに、ご主人に会いに施設の最寄駅に降り立ってしまった気持ちを、「面会」ではなく、「逢瀬」という一語に込めた一首だった。それは「逢瀬」が唐突で強すぎて、なおかつ、上の句と下の句がぎくしゃくしていて、歌としてはどこか破綻してもいた。


  それでも、ぼくはその歌に心を揺さぶられた。
  そこに「面会」ではなく、「逢瀬」という言葉をおかずにはいられなかった彼女の想いが艶かしくて、痛いくらいに哀切だった。自分がいつもの自分でなくなってしまうことが恋愛だとすれば、「面会」では言い足りず、やはり「逢瀬」しかなかったとも言える。
 

  もっと言えば、歌としての破綻も辞さず、「逢瀬」を選んでしまった彼女の気持ちが、赤裸々な抒情(うたごころ)だった。
  うまい文章といい文章の境界線、その秘密の尻尾を垣間見た気がした。うまい文章で人を感心させることはできても、心までは揺さぶれない。うまい文章と、いい文章の埋められない差はそこにこそある。