自分という殻〜夜久弘著『決定版!!100km・ウルトラマラソン』

  先の板橋から9日目、鼻風邪もようやく収まり、桜が満開の下を70分間走。走り出して身体がほぐれてくると、花見客を尻目に、適度な発汗とともに身体がゆっくりと目覚め、稼働していく感覚がやっぱり心地いい。


  自分のちっぽけさを相対化する方法はいくつもある。フルマラソンも満足にマネジメントできない僕は、60キロ走に出ることを選んだ。そして屈辱に沈んだレースの後に、この本を読み終えられてよかったと思う。性格上、ついつい前のめりに力んでしまいそうな自分の肩をやさしく、時に強く揉みほぐしてくれた。自身もウルトラランナーである著者が、各地のレースに参加しながら出会った名物ランナーたちの軌跡と練習方法を追っている。
  たとえば、何気ないこんな下りに僕はグッとくる。

   97年に「山口100萩往還マラニック」で会ったときの印象がもっとも強い。往還道をはずれた田んぼの畦道で一緒になった。ぼくは70kmの部、浪越さんは2日前にスタートした250kmの部の終盤を走っていた。いや、走っていたと言えるフォームではなかった。歩幅は小さくしか繰り出せず、ピッチを刻むたびに身体が大きくかしいでいた。200km以上走ってきたつけが痛みとなって全身を覆い尽くしているのは一目瞭然だった。それでも話をすると、元気も闘志も枯れてはいなかった。あとは30kmほどしかないと喜びさえあふれていた。身体の状態に精神までは巻き込まれていなかった。疲労の極地にある身体と満水状態の精神力、そのアンバランスさに圧倒された。ぼくのいるウルトラマラソンの殻の中にはあのような凄みはない。ぼくには殻を破れそうもないと思いつつ、感動的なショックを受けたのだった。

  この文章を読むだけでも、筆者以上に、自分の卑小(ひしょう)さが露になり、鼻で笑いたくなる。