ちっぽけな祝祭〜近藤篤 写文集『ボールピープル』

ボールピープル

ボールピープル


  バカみたいにだらだらと走った翌日。五月晴れのうららかな窓外の光景を尻目に、日がなコツコツとキーボードを叩きつづける。こんな地味な日のアクセントは、ソファで好きな文章と写真を味わうこと。そこから元気を分けてもらって仕事にもどる。


「文句があるなら 死ぬほど愛してから言え」


    このコピーが、グリングリンした芝生を中央に据えた、超満員の埼玉スタジアムの俯瞰写真に添えられている。サッカーに関する写真と文章で構成されているが、登場する大半はふつうで、無名で、サッカーという祝祭(カーニバル)が大好きな人たちの話たち。着眼点がすこぶるいい。
    その文章が生まれた場所は、バルセロナのホーム「カンプノウ」から、モロッコのフェズやアルゼンチンのブエノスアイレス赤道ギニアの首都リーブルビルや「3・11」の被災地にまで至る。けっしてサッカー場とはかぎらず、ただの砂浜や路上、街頭、小汚いホテルの一室だったりするが、みんなゲームやボールと戯れている。


    考えてみると、オレ自身サッカーに助けられたのは2回目と、被災地のジュニアクラブの指導者(36歳)は話す。1回目は、彼が頸椎ヘルニアで下半身が動かなくなったとき、当時まだ保育所にいた息子がサッカーやりたいといい始めたので、じゃあもう1回元気取り戻してボールが蹴れるようになるぞ、と思ったとき。

で、今回もやっぱりまたこうやって、うりゃーって、わらす(童子)らと。ですんで、オレからいわせれば、サッカーってもんはすげえでっけえもんで、おれはそれをもう最後まで貫くつもりでいますけどね。


    なんともちっぽけな祝祭、そう苦笑する人がいるかもしれない。だが、ちっぽけな祝祭さえ持てていない人のほうが大多数だから、彼はすでにサッカーに”選ばれし人たち”のひとり。
    有名選手たちが大観衆の下、華やかな脚光をあびてプレーする壮大な祝祭も、ふつうで無名だけど、圧倒的な大多数であるちっぽけな祝祭によって支えられている。