決然たる文字 〜「須賀敦子の世界展」(神奈川県立近代文学館今月24日まで)


    須賀さんには晴れよりも、曇天のほうがしっくりとくる。折りたたみ傘をデイバックに忍ばせ、山下公園から港の見える丘公園への坂道をゆっくりと上りながら、そんなことを思った。

    須賀さんの描く実在の人物たちの多くが、思うに任せない現実を、意志を曲げずに生きようとした人たちだったから。その点では、イー・ユンリーの小説に登場する架空の人物たちともよく似ている。

 
    展覧会のショーケースでもっとも目を引いたのは、便せんにつづられた丁寧で読みやすい彼女の文字。家族や友人らに宛てたそれは達筆とはいいがたいが、上品さと決然さを感じさせた。会うこともなかった彼女にほんの少しだけ触れたような気持ちにもなれた。


    会場には、彼女にゆかりのあるイタリアの建物や町並みと、彼女の文章がセットで展示されていた。その文章のたたずまいからも、淡々としていながら強い意志が感じられた。失った人たちや時間、風景や出来事を、キリッと背筋を伸ばして見つめる彼女の姿が、その言葉の向こうに垣間見えるからだ。


    たとえば、会場の展示にはなかったが、『コルシア書店の仲間たち』の冒頭に、ツィア・テレーサという、イタリアの大企業の大株主で、生涯独身を通した老女の話が出てくる。イタリアの左派運動の拠点だった書店を援助したのがテレーサだった。須賀さんは、彼女の第一印象をこう書き留めている。


『銀色の髪を三十年代ふうにウェーブでまとめた、小柄な老女で、さしだされた手は、節がふとくて、骨ばっていた。ふつう握手をするとき、手のひらをたてにして差し出すものだけれど、手にキスを受けることになれている上流の婦人たちは、手のひらを下にして、ふわっとこちらの手にゆだねてくる。ツィア・テレーサの握手も、そのてのものだった。
「入口のそばの椅子」より抜粋引用』

  

    やがて時代が移り、運動拠点だった書店も閉店を余儀なくされたとき、八十を過ぎたばかりのテレーサが、須賀の顔さえ見分けられないほど老いていたことは、どちらにとってもさいわいだったかもしれない、と彼女は書いている。
    須賀さんはイタリアで結婚した夫を早くに失っていて、その夫との短い生活の節々に、心温まる贈物を届けてくれたのもテレーサだった。エッセイはこうして終わる。


『入口のそばにだれかが置き忘れた椅子にすわって、ぼんやりとほほえんでいたツィア・テレーサ。それが、日本に帰ることを決めた私の、さいごに見た彼女だった。たまに立ち寄って彼女にあいさつする年輩の友人があると、あのすこし軋むような、でもすっかり張りのなくなった声で、彼女はていねいにたずねていた。おや、どなたでしたっけ。きらめきを失ったツィア・テレーサの大きな目が、宙をまさぐり、小さなレースのハンカチをにぎった骨太の手が、ひざのうえでかすかにふるえていた。』 


     一見淡々としていながら、違う国の、会った事もない人物とその場面を、読み手に想像させずにはおかない筆力。それは須賀敦子という人もまた、思うに任せない短い人生を果敢に生きた人だったからにちがいない。

コルシア書店の仲間たち (文春文庫)

コルシア書店の仲間たち (文春文庫)