アホウドリがとんだ〜阿奈井文彦さん追悼会

   敬愛する先達、ルポライター阿奈井文彦さんの『サランへ 夏の光よ』(文芸春秋)は、阿奈井さんが幼少の頃に他界されたお母さんの棺の、じつに精緻な場面描写から始まる。それはゆっくりと舐めるように撮影された、映画の長回しシーンのような書きっぷりで、首根っこを引っ張られるような導入だった。


   ぼくはその本を数カ月かけて書き写してから、阿奈井さんにそうお伝えしたら、とても喜んでいただいた。その際、こんな質問をした。
「阿奈井さん、幼少の頃に亡くされたお母さんの、あの棺の場面を、よくあそこまで精緻に覚えていらっしゃいましたよね」と。


   荒川くん、ぼくはね、と阿奈井さんは、あの低音が響く太い声で言われた。
「断片的な母の思い出をね、それこそ牛が食べたエサを何度も何度も反芻するようにね、何度も何度も思い返しながら、今までやってきたんですよ」


   結果として、それが阿奈井さんの最後の作品になった。10冊を超えるその著作を通し、自らを「アホウドリ」と称して、市井に生きる人々の働きぶりや暮らしぶりを丹念に描かれてきた中で、最後のテーマが最愛のお母さんだったなんて、とても劇的な軌跡だと想う。


   午後3時から、東中野のポレポレ坐で、その阿奈井文彦さんを追悼する会が行なわれた。40人強の方々が参席されて、ぼくが司会を仰せつかった。


   ベ平連時代や、ぼくも何度か参加したFIWCの韓国ワークキャンプ時代、あるいは阿奈井が暮されていた東中野界隈の思い出話など、いろんなエピソードが披露されて、とてもほんわかとした、素敵な3時間だった。
   そして阿奈井さんの命日が、くしくも4年前に他界した自分のおふくろと同じ日であるという偶然に、妙なご縁を一方的に感じている。

サランヘ夏の光よ

サランヘ夏の光よ