ウメジャンの教え

    キムジャンという韓国語がある。晩秋の韓国の家々で、大量の白菜を買い込んでキムチを漬ける作業のこと。姑とお嫁さんとか、ご近所と合同でとか、けっこう大々的に行われる。冬の到来を知らせる風物詩だ。今はどうか知らない。僕が約1年間ソウル市で下宿暮らしをしていた、30年近く前のことだから。


    それを真似て、我が家では4年ほど前から「ウメジャン」を始めた。6月頃に青梅がスーパーに並び出すと、2キロ買って来て、梅ジャムと梅ジュースをつくることを勝手にそう呼んでいる。
    といっても、キムチづくりほどたいそうではない。だが、無農薬のお米づくりを5年間続けて、去年”卒業”したので、食べ物を手づくりする作業は、もはやウメジャンしか残っていない。
    キムジャンとウメジャンの共通点は、じっくりと待つことだ。
    

     ジュースは、青梅を水で洗ってヘタをとり、1キロの氷砂糖とミルフィーユ状に交互に入れる。それを1ヵ月半を目安に、1日2回ずつ瓶をひっくり返してシェイクするだけ。やがて氷砂糖がきれいに溶けて、青梅が秋口のイチョウの葉のように色づいてシワシワになると、まさに甘美な味にできあがる。


    ジャムは、青梅が黄色くなるまで1週間ほど放っておく。それから水洗いしてヘタをとってから、種の周りを包丁で削ぎ落として、大きめの鍋で700グラムの砂糖を加えて、ぐつぐつと1時間ほど煮込む。
    梅ジャムを手づくりする長所は、大量の砂糖とともに煮込むのを目の当たりにするために、ジャムの食べ方が控えめになること。夏は毎朝、ヨーグルトの上に載せて食べている。    


    梅ジャムや梅ジュースを口にしながら、時おり思い浮かぶのは、つまらないことですぐに苛立ってしまう自分のこと。最近は、パソコンがらみが多い。クリックしても思ったページをすぐには表示しなかったり、時にフリーズしたりしたときに、無性に苛立ってしまう。カッコ悪い自分がそこにいる。
    待てなくなっているのだ。


    先日、NHKの対談番組「SWITCHインタビュー達人達」を観ていたら、ゴリラと会話できる京都大学総長の山極壽一さんの、こんな言葉にどっきりさせられた。
「チンバンジーやゴリラは、何かを待つことができないし、うまくいかないとすぐに諦めたり、移動しちゃうんです。つまり、人間と類人猿の違いは、『待つこと』と『諦めないこと』なんですよ」