手紙のように話す人

 終始伏し目がちに、集まった50人ほどの聴衆とは目を合わさずに穏やかな声で淡々と話す。自ら、本業は薬草屋と話す若松英輔氏を見ながら、ふと勝手に合点した。
 この人は1人の読者を念頭に原稿を書くように今話をしているにちがいない、と。だから、これだけの人たちを前に少しも緊張せず、多くの人たちが普段はまるで無意識な皮膚と筋肉の狭間を、小さいピンセットで事務的に剥いでみせるようなことを、これほどわかりやすく話せるのだ。


 端的だったのは、彼の実家から「熊が出た」という電話があったという場面。聴衆の多くが失笑するのを見計らって、彼は「皆さん、今お笑いになりましたけど、実際に熊が出る地域の人はけっして笑いません」と、ぴしゃりと告げた。一瞬でその場の空気がしんとした。


 それが皮膚と筋肉の狭間をつまびらかにする彼の手際だった。「皆さんが笑えるのは、『熊』という言葉が認識する言葉であって、体験する、あるいは過去にたった1度でも熊に遭遇した人の言葉ではないからです」


 誰もが「熊」という言葉を知っている。
 ところが、その言葉は大別すると2つに分かれることに、私をふくめて多くの人たちは恐ろしいほど無自覚だ。それは「津波」や「愛」、「死別」や「原発事故」といった言葉にも同じことが言える。
 さっき「熊」の話を失笑した人は本来、無分別な自分にこそ震えながら恥じ入るべきだ。まるで手紙のように話す人の穏やかな物腰の下には、剥き出しのジャックナイフのように鈍く光るピンセットが握られている。