ブーメランな言葉〜『潮』5月号「無料学習塾に集う母子家庭の子どもたち」



「半径約50cmの想像力」−それは母子家庭の子供たちを対象とする無料学習塾の運営者が、取材の中で口にした言葉だ。不躾な質問で恐縮ですが、と私が前置きをして、離婚するのは親個人の責任なので子供の貧困も親の責任という見方がまだ根強いと思いますが、どう思われますか?と訊いたとき、彼からの回答の中にあった。


「そうやって半径約50 cm程度の想像力で、物事の是非を簡単に口にする大人が近頃多すぎますよね」
 乏しい知識や少ない経験値に基づく自分の想像力の貧相さとその自覚のなさを、彼はそう喩えてみせた。
 その言葉が、一般論を無造作に問いかけた私自身のうかつな唇を針一本分突き刺したかのように感じられた。自宅で妻に何かを訊かれて適当に返事をしたら、いきなりキレられたときのバツの悪さ以上の怖さとして、だ。


 電車内でスマホの液晶画面とにらめっこする人たちが増えて、むしろ私たちの想像力は干からびて、色あせ、歪み、縮み上がっているのではないか。いつでも、どこでも、あらゆる情報にアクセスできるということが、むしろ、それに拍車をかけているのではないのか。そう言えば、ある雑誌でに読んだ次の一文にもドキッとさせられた。
「インターネットによる検索は、考える前に調べろと言っているようなもので、思考力や想像力を奪う恐れがある」


 私の日常だけを考えても、情報にアクセスしてインプットする時間の方が、何かを考えたり書いたりする時間より圧倒的に長い。
 拙稿では、無料塾に集う学生や小学生が育み合う想像力と対比し、世の中にはびこる無関心の代名詞として「半径約50 cmの想像力」という言葉を使わせてもらった。
 書き手の私をふくめ、誰一人としてこの言葉から無縁ではいられない。むしろ売文業の私のところにはたえず舞い戻ってきて、「この口で言うんか、オマエは!」と、この貧相な唇をチクチクと突き刺し続けるにちがいない。