哀願するミニトマト

「お願い、女優だから顔だけは殴らないで!」
 以前、夫から暴力を振るわれてそう哀願した人がいたという話に、ある種の健気なプロ根性を感じたことを思い出した。名前は忘れた。
 万願寺唐辛子と獅子唐とともに水をまめにやっていたプランターミニトマトが枯れてきた。その枯れ方が人の体で言えば、膝上から胸部分までがヤられていて、根元近くとてっぺんの葉や茎は青々としていて、黄色い花も咲き薄抹茶色の実もふくらませている。これからゆっくりと完熟に向かう。
 普通なら水を送る根元から一番遠いてっぺんの花や実の部分からダメになるはずなのに、実際には土中の水分や養分は枯れた部分を通り過ぎて先端に届けられている。


 検索すると、日照量が多くて雨が少ない南米アンデスが原産のトマトは元々乾燥に強く、養分が足りなくなると重要じゃない部分から枯れて、実に養分を送る性質があると書いてある。要はミニトマトなりのサバイバル戦略だった。しかも枯れた部分の枝元からポキリと落ちるのは、カビや雑菌が繁殖させないためのこれもトマト独自の防御反応だという。

 
 なんかたまらなく健気な合理主義を働かせる植物だと知ると、
「お願い、体なんて枯れてもいいから、花と実だけはちゃんと付けさせて!」
 立ち枯れミニトマトがそう哀願しているように見えた。
 気がつけば久しぶりに晴天が広がった今日、あれほど騒々しかった蝉の音がぷっつりと止んだ。1週間と言われるそのいのちを納得して生き切ったのか。自分がもしも立ち枯れトマトだったら、今いったい何をどう守り、何をきれいさっぱり捨て去れるのだろうか。